ちょっと前に、
心屋さんの本について
記事を書きました。


<その時の記事はコレね>



■飛ぶ族、飛ばね族




で、その時に、
世の中には、


・飛ぶ族と
・飛ばね族がいて


意識が、ちょいちょい飛ぶ人は
飛ぶ族で、


基本的に、朝起きてから
寝るまで、ずーっと意識が飛ばない人は
飛ばね族なんだけど、


私は、長らくの間、
本当は、飛ぶ族なのに
「飛ばね族」 になろうとして生きていました。



気づけば、
意識が飛んでいるのに


「あっ!また意識飛んでた!」と


周りについていこうと
必死に生きてきました。



でも、飛ばね族の旦那は、
朝、目が覚めたら
テキパキ行動して、
サッサと作業を進められる姿を見て


私と、旦那は、
男女という性別以上に


根本的に
もっと違うものがあるんだと
明確に分かりました。


■別の生き物


だから、心屋さんの


・飛ぶ族
・飛ばね族


という、世の中には、
二種類の生き物がいる理論を
数年前に知ってから、


私は、随分と
生きやすくなりました。


■ふーん族、めっちゃ族



そして、心屋さんの


・ふーん族
・めっちゃ族


この理論も
私を、随分、助けてくれた考え方。



世の中の、目立つ人たちは、
「めっちゃ族」で


私も、自分の意思とは反して
頑張って、自分の感情を
表現しよう!表現しよう!と


色んな、お面を被って生きてきました。


確かに、自分の意思を
オーバーに表現することによって
喜ばれるけど、


本当の私は、
実は、かなり消耗。



なんで、私は、
こんなに消耗してしまうんだろう・・


それが、ちょっとした悩みだった私は、
世の中には、

・ふーん族と
・めっちゃ族がいて


それで、世の中は成り立っているって
分かっただけでも


心は、かなり軽くなりました。


■違う自分にならなくても良い



私は、思い起こせば
やっぱり、

・飛ぶ族で
・ふーん族。


意識、飛びまくって、
のんびりしていて、


あまり気持ちを表現しないけど、
心では、ちゃんと嬉しいとか
悲しいとか、めっちゃ感じている。


最近、感じているのは、
文字で、こうやって
キーボードを打つことで


随分、自分の気持ちを
吐き出せているなと。


私は、長らくの間、
自分のことを、
変なヤツって思って生きてきたけど、


これが、私。


別の自分になろうとしなくたっていい。
私は、私として生きていこう。