「立派な大人になって欲しい」
親なら、自然と抱いてしまう感情なのかもしれません。

頭の良い子になって欲しい。
良い成績をとって欲しい。
少しでも良い学校に行って欲しい。
真面目に定職について欲しい。
結婚して欲しい。
孫の顔が見たい。

そこには、見栄や、
世間の目を気にする気持ちがあるのだと思います。

〇〇さんとこのお嬢さん、〇〇にお勤めの方と結婚して、
2人のお子さんがいるらしいわよ。

〇〇さんの息子さん、〇〇に就職が
決まったらしいわよ。

そうやって、周りの人と、物差しで比べてみて、
うちの方が、マシだわ。
あちらの方が、良いとこ行ってるわ。
そうやって、心の奥の方で、一喜一憂する。

そして、まだ結婚していない年頃の子供に、
「いつになったら結婚するのかしら」
「いつになったら孫の顔を見せてくれるのかしら」

こういう話って、テレビでも、その辺りを歩いていても、
よく聞く話です。

何となく、絵に描いたような幸せな家族っていうのは、
綺麗なマイホームに、優しい父親と母親がいて、
元気な子供が2人。

これこそが、「幸せのかたちです」ってイメージがあって、
それに、如何にして現実を寄せていくことが出来るか。

その「幸せなかたち」から大きく外れると
不憫なのだろうか。

確かに、世間の目からすれば、
いい年して、独身のままだと、
白い目で見られてしまう。

だから、親としては、少しでも
「幸せのかたち」に近づいて欲しいと思う。

でも、それって、本当は「世間の物差しの話」であって、
「その人が思う幸せの話」ではない。

何を言いたいのかというのは、
親というのは、そういう「世間の物差し」で子供を見るのではなくて、
子供の幸せ、子供が本当にやりたいと思う人生を
心から応援してあげられる存在なのだと思う。

世間の物差しで、少しでも良い点数をとることが
全てではない。

それよりも、子供がイキイキと
「毎日が楽しいんだよ」
そうやってキラキラと輝く人生を歩めるようにサポートしてあげる。

そのために、親が出来ることって言ったら、
最低限のマナーを教えることや、
最低限の学力をつけてあげること、
そして、子供がやりたいと思ったことは
出来るだけやらさせてあげることくらい。
その程度だと思います。

無理矢理、子供を「世間の物差し」のレールに乗せるべく
「あれをしなさい」
「これをしなさい」
これは、親のエゴなんだと思う。

周りから見て、幸せそうに見えるよりも、
本人が幸せだと思う。

こちらの方が、ずっとずっと大切なことなんだと、私は思います。