テレビなどで、「セレブ」という表現を使って、
大豪邸に住み、高級車に乗っているような人を、
資本主義における勝者という印象を与えるような
番組を見ることがあります。

そういう番組を見ては、「いつか私もセレブになってみたいわ」
「いつかオレも、ああいう生活をしてみたいな」

そういう感情を煽るような
そんな印象を受けます。

でも、そういう生活の先には、
私が望むような生活があるのかなと思うようになりました。

例えば、大豪邸や高級車にかかる維持費や、
それに似合うような服装、食事、教育費を維持するために
一体どれだけの時間とお金が必要になるのかと想像するだけで、
物凄いパワーが必要になるんだろうなと感じるようになりました。

私は、そんな途方もないパワーが必要になるような
生活をすることが、自分の幸せではないと思っています。

今、読んでいる年収300万円でもお金持ちな人、年収1000万円でも貧乏な人
こんなことが書いてありました。
お金を貯めている人というのは 、ある意味 「分相応 」をわきまえている 、というか 、自分はこれで 「事足りる 」というような 、満足できるレベルをきちんと知っています 。自分の欲望にブレ ーキをかけることができるのです 。 「地に足がついている 」とでも言うのでしょうか 。 「自分はこのくらい 」ということを自覚しているのです 。そして 、満足しているから 、特にムリもしない 。ムリをしていないから 、その状態が長続きするというわけです。


年収300万円でもお金持ちな人、年収1000万円でも貧乏な人
横山光昭(著)

贅沢をしようと思えば、果てしなく上の世界は広がっていきます。
ファーストクラスで、アメリカに行って、高級ホテルに泊まれば、
余裕で、我が家の年収を超えていくでしょう。

私は、そういうことに、幸せを感じません。

そうではなくて、私は、このくらいが、自分には合っている。
背伸びをするわけでもなくて、このくらいの生活が、
むしろ良い。安心する。

果てしなく、沢山のお金がないと生きていけないような、
そんな生活は、私にとって、苦行のような感じがするのです。

私は、自分が楽しいと思いながら、
家族が、困らない程度のお金を稼いで、
小さくて、ささやかだけど、幸せのある生活。

そして、そういう生活をしていく上で、
しっかりお金が貯まっていく。

そちらの方が、ずっと私は、幸せを感じることができます。
そうする方が、お金にも、自分にも余裕が出来てきます。

私は、これからも、自分の満足できるレベルを知り、
「自分はこのくらい」というラインで
楽しく生きていきたいと思います。