私は、大学生の時
色々なバイトをしたことがあります。
・コンビニ
・ガソリンスタンド
・家庭教師
・ユニクロ
・結婚式の配膳
・大学の事務
・ファミレス
高校時代は、親からもらう
月5000円の小遣いで過ごしていたので
数万円単位で、お金をもらえることが
嬉しい。
ただ、そんな感じでした。
■バイトは大変だった
大学生だった私は、
とにかくがむしゃらでした。
バイト中、ずっと立ちっぱなしで
忙しい時には、店内を小走りで
走り回っていました。
当時は、それは当たり前だったけど
30代になった今
思い返すと、
本当によくやっていたなと感じます。
でも、当時の経験があるからこそ
今は、コンビニに行っても
ファミレスに行っても
大体の内情が分かるので
違う目線で物事を見ることができます。
(良い経験でした)
■お給料
そんな当時のお給料の感覚は、
時給○○円で、何時間そこで働いたのか
何となく我慢したから貰える対価みたいな感覚でした。
「だって、私、頑張ったもん」
そんな感じでした。
■人を喜ばせた証
こんなことが書いてあります。
稼いだお金は「自分が人を喜ばせた証」なんだよ
お給料みたいに自分に入ってくるお金って
「我慢料」みたいに感じていたんだけど、
本当は「自分が人を喜ばせた証」なんだよね。
この根本的な考え方が違うから
自分の中での「お金の意味」みたいなのが
違うんだよね。
■この歳になって感じる
バイトをやっている時は、
お客さんに、お冷を配膳することも
業務みたいな感じでやっていました。
「言われたから。言われた通りにやっています」
みたいな。
でも、この歳になって感じるのは
こうやって、お冷を持ってくる子も
自分の時間に融通を利かせて
頑張っているんだな。
ありがたいなーと。
大学生の私に伝えたい。
「お冷を配膳することも喜ばれてるんだよ」と。
■まとめ<お金は喜び>
お金は「我慢料」
嫌なことも我慢したから
貰えるもの。
そういう感覚でいると
お金を使う時も
ストレスと共に
「あー、出て行っちゃう」
そんな感じになってしまいます。
でも、お金は「喜び」
人を喜ばせたから
貰えるもの。
そういう感覚でいると
お金を使う時も
「私は、これを得ることで、とても嬉しいです」
そんな感じになります。
ちょっとしたことなんだけど、
長い目で見ると
自分の満足度は雲泥の差になります。
そして、お金は喜びという感覚でいると
気づけば、喜びで得たもので
溢れていくんだなと
私は思います。
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