昨日、息子は小学校を
ズル休みしました。
2週間に1回くらいは
学校へ行きたくないという息子。
だけど、
「頑張れ!行っておいで」と言って
学校に行かせる私。
だけど、1ヶ月に1回くらいは
ズル休みを許可しています。
■私だって
私も、学校には行きたくなかった。
なんで、あんなつまらない授業を
何時間も座って聞かなければいけないのか。
いじめにあっていたこともあります。
だけど、私は
「学校に行きたくない」とは
1度も言ったことがありません。
それは、いつも自分のことで精一杯の母を
さらに困らせることだし
言ったところで
どうせ、行かなければならない羽目になる。
それなら、自分の心に嘘をつき続け
大人しく学校に行ったほうが良い。
そういう判断をし続け
どんどん我慢が当たり前になっていきました。
■母というお代官様
だから、息子が「学校に行きたくない」という
気持ちは、よく分かる。
だけど、私の中の
母というお代官様が
「学校に行きなさい」と言う。
ちゃんとしなければいけない。
人より上回ることが素晴らしい。
休むなんて、もってのほか。
そう、頭の中の私が
叫ぶのです。
■もう疲れた
だけど、もう
ほとほと疲れたのです。
もう、良いじゃない。
母に認められたい。
それから、もう卒業しよう。
そう気持ちが、どんどん溶けてきた今
私は、徐々に、ギュッと握りしめた手を
開いています。
■ズル休みの息子
昨日は、そんなズル休みの息子と
母に電話をして
「あれ?学校じゃないの?」と
驚く母。
「ズル休みだよー」というと
「大丈夫なの?」と言う母。
そこで、一度聞いてみたかった
質問を母にしてみました。
「私、一度も休みたいって言ったことないじゃん」
「そうね、ハピコは優秀だったわ」
「だけど、私は、いつも学校に行きたくなかったんよ。
もし、私が学校行きたくないって言ったら、どうしてた?」
「そんなの分からないわよ。
お母さん、今でも自分にいっぱい、いっぱいよ」
「だけど、もしよ、もし、行きたくないって言ってたら?」
「行かせてただろうねぇ」
「やっぱりね・・」
私の中で、また1つ答えが見つかった気がしました。
■自分の人生は、自分のもの
私は、長らくの間
母のために生きていたように思います。
恥ずかしくない子。
立派な子。
優秀な子。
選ぶ基準は、いつも
凄いと思われる方。
だけど、もう、そういう人生を卒業しよう。
■気楽に生きる
良い成績を取り
良い学校へ行き
良い会社へ入り
良い役職になり
良い結婚をし
良い家を建て
ローンを返済するまで鎖に繋がれる。
その終わりの見えない
ラットレースから抜け出し
もっと気楽に自分らしく生きようと
あらためて思ったのでした。
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