ジブリに「耳をすませば」という作品があります。
<ストーリー>
月島雫は、明るく読書好きな女の子。中学3年になって、周りは皆受験勉強で一生懸命なのに、いつも学校の図書館や市立図書館で本を読みふけっていた。雫はある日、図書館の貸し出しカードに「天沢聖司」という名前を発見する。雫が読む本には必ずといっていいほどその名前があった。やがて、雫はひとりの少年と出会う。中学を卒業したらイタリアへ渡って、ヴァイオリン職人の修行をしようと決意している少年。その少年こそが「天沢聖司」であった。雫は聖司に惹かれながらも、将来の進路や未来、そして自分の才能にもコンプレックスと焦りを感じていた。やがて、雫は聖司の生き方に強く心を動かされ、聖司の祖父・西老人が経営する不思議なアンティークショップ「地球屋」にあった猫人形「バロン」を主人公にした物語を書き始めるのだった…。
■目次
▶最後に
私が初めて「耳をすませば」を見たのは、
中学3年生の頃。
まさに、主人公の「月島雫」と同じ年齢でした。
当時は、どちらかと言えば、恋愛的要素ばかりが
印象的で「キュンキュンするー」といった印象が強かったです。
主人公の雫は、自分の才能を見極めるために
必死で小説を書き、最終的には、
高校受験をするという選択をします。
なので、当時の私は、やっぱり高校受験をすることが
良い道なのだと感じました。
というか、周りもそうだしね。
しかし、中学を卒業したらイタリアへ渡って、
ヴァイオリン職人の修行をしようと決意している「天沢聖司」
彼の選択は、当時の私からしたら
カルチャーショックすぎて
意味が分からなかったわけです。
「何!?高校に行かないわけ?」
当時は「そんなバカな!?」としか思わず
ただただ意味が分かりませんでした。
でも、彼は「好きなことをやる」という意思が
既にあったわけです。
当時の私は、良い学校に行って
良い会社に入ること。
これが最も良いことだと
信じていたのですが、
この歳になって思うことは、
「そればかりが人生ではない」ということ。
良い学校に行っても、
必ずしも良い会社に入れるわけではないし、
良い会社に入っても、
必ずしも順風満帆ではないわけです。
それならば、早い段階で、
自分が好きなことを突き詰める人生があっても良いのだな。
当時の私には、全く理解ができなかったけど、
最近になって、そういうことが
ようやく理解できるようになってきました。
社会が作ったレールは、
社会にとって都合が良いようにできていて
それに乗らない人生という選択肢もあってもいいよね。
こういうことが、20年前の私にも
理解ができていれば、
人生、もう少し違ったのかなと思います。