「買えない」と「買えるけど、買わない」は全く別物。

あるモノを「買えない」っていうことと、

「買えるけど、買わない」。

これは、物理的には、そのモノを手に入れていないということで

一緒のことです。

でも、それまでもプロセスが、「買えない」ってことと、

「買えるけど、買わない」とでは、かなり違います。

自分には「買えない」という思考回路の場合

例えば、ショッピングセンターを歩いているとき、

ふと、素敵な洋服が目に留まったとします。

そして、値札を見てみると、「3万円」の表記があります。

この値札を見て、「うひょー、高っ!無理無理」

私には、到底、買えない。

これは、私が、独身時代のころ、よく思っていた出来事です。

当時は、給料日前になると、

預金通帳の残高が2万円くらいになっていました。

だから、似たような洋服で、もっと安いものはないか、

何時間もかけて、色々な店を物色していきました。

それは、自分が「買えない」と思うと、

余計に、「欲しい」という気持ちを増幅させていたからです。

でも、当時の私は、そんなことが分かるはずもなく、

似たような1万円の服を買って、帰宅するわけですが、

自宅のクローゼットには、同じような服が100枚も200枚も

所狭しと、ギュウギュウ詰めになっていました。

「買えるけど、買わない」という思考回路の場合

ある程度、お金が貯まってくると、

徐々に気持ちに余裕が生まれてきます。

なので、同じような出来事が起こった場合の思考回路は、

「わぁー、ステキ!買おうかな」と思うのですが、

ちょっと待って、そう言えば、同じような服を持っているんだった。

「へぇー、あの服って、こんなコーディネートも出来るんだ」

そういう広い視野で、モノを見ることが出来るようになります。

だから、「買えるけど、買わない」

この場合、自分の意思で、買わないことを決めているので、

その洋服への未練や執着がありません。

「買えない」と「買えるけど、買わない」の違い

自分には、あの服が「買えない」そう思うと、

かえって、「あの服が欲しい」そういう執着や未練の気持ちが生まれて、

どうにかして手に入れてやろうと思うもの。

でも、自分には、あの服が「買える」そう思うと、

心に余裕が生まれて、本当に必要なのだろうか、

手持ちの服に同じようなものはないだろうか、

そもそも、既に洋服は沢山持っているではないか。

そういう思考回路になります。

そこには、「執着」という感情で、モノを追いかけるのではなくて

客観的に広い視野で、モノを見ることができる自分が存在します。

「買えない」と「買えるけど、買わない」

この2つの間には、一見、同じような事柄なのだけど、

物凄い「差」が存在しています。

結局は、この積み重ねが蓄積されて、

やがては、「雲泥の差」になっていきます。

私は、最近になって、ようやく、この違いを

しっかり理解できるようになってきました。

人生は、小さな積み重ねで構成されています。

だから、私は、この小さな積み重ねを1つひとつ

大切に生きていきたいと思います。